三十歳を過ぎた頃から、僕は自分の頭頂部が心もとなくなっていることに気づいていた。風呂上がりに鏡を見るたび、濡れた髪の間から覗く白い地肌が、僕の自信を静かに蝕んでいった。そんな時、インターネットで見つけた「使用者満足度95%」という謳い文句の育毛シャンプーに、僕は藁にもすがる思いで飛びついた。一本数千円もするそのシャンプーを、僕はまるで聖水のように大切に使った。説明書通りに丁寧に泡立て、指の腹で優しくマッサージし、祈るような気持ちですすぎ流す。これを続ければ、きっと僕の悩みも洗い流されるはずだ。そう信じていた。しかし、一本使い終わり、二本、三本と使い続けても、鏡の中の現実は変わらなかった。むしろ、毎日必死に頭皮をチェックするあまり、抜け毛の一本一本に過敏になり、ストレスは増すばかり。「結局、シャンプーなんて気休めに過ぎないんだ」。僕はすっかり心を折られ、その高価なシャンプーを使うのをやめてしまった。それからしばらくは、ドラッグストアの安いシャンプーで、ただ汚れを落とすためだけに髪を洗う日々が続いた。そんなある日、行きつけの理容室で、店主の親父さんに何気なく悩みをこぼした。「育毛シャンプーなんて、結局意味ないですよね」。すると親父さんは、僕の頭皮をじっと見ながらこう言った。「意味がないんじゃない。あんたは期待しすぎてただけだ。シャンプーは畑を耕す作業と一緒だよ。それだけで作物が育つわけじゃない。でも、良い土がなきゃ、そもそも種は芽も出さないだろ」。その言葉は、僕の心にすとんと落ちた。僕は、シャンプーに「発毛」という結果だけを求めていた。でも、本来の役割は「頭皮環境を整える」ことだったんだ。その日以来、僕は再び育毛シャンプーを使い始めた。ただし、今度は期待するものを変えた。髪を生やすのではなく、頭皮を健康にするために。不思議なもので、目的が変わると、日々のケアも苦ではなくなった。今も僕の髪が劇的に増えたわけではない。でも、以前のような頭皮のベタつきやかゆみはなくなり、髪にハリが出てきた気がする。何より、鏡を見ても絶望しなくなった。育毛シャンプーは、僕に髪ではなく、自分と向き合うきっかけをくれたのかもしれない。