五十歳の誕生日を迎えた頃からでした。シャワーを浴びた後、排水溝に溜まる黒い塊を見るたびに、心臓がどきりと痛むようになったのは。初めは気のせいだと思っていました。でも、日を追うごとにその量は増え、ドライヤーで髪を乾かせば、洗面台の周りに抜け落ちた髪がはらはらと舞う。ある朝、合わせ鏡で自分の後頭部を見た時の衝撃は、今でも忘れられません。そこには、自分が思っていた以上に白く広がる地肌があったのです。「嘘でしょ」。思わず声が漏れ、その場にへたり込んでしまいました。そこからの私は、まるで何かに取り憑かれたように、薄毛のことばかり考えるようになりました。電車に乗れば、前に座る女性の豊かな髪と自分の頭を比べ、雑誌をめくれば、モデルのつややかな髪に嫉妬する。夫に「最近、髪が薄くなった気がしない?」と尋ねても、「そんなことないよ」と気のない返事が返ってくるだけ。この深刻な悩みを誰にも理解してもらえない孤独感に、夜中に一人で泣いたことも一度や二度ではありませんでした。高価な育毛剤を試し、頭皮マッサージに精を出し、髪に良いというサプリメントを片っ端から飲みました。でも、目に見える効果はなかなか現れません。焦りと絶望で、鏡を見るのも、人に会うのも怖くなっていました。そんな私を見かねたのか、ある日、長年の友人でもある美容師がこう言ってくれたのです。「わかるよ、その気持ち。でもね、今のあなたは髪の毛のことしか見ていない。あなたの魅力は、髪だけじゃないでしょう」と。その言葉に、はっとさせられました。私は、薄毛というコンプレックスに囚われるあまり、自分自身の他のすべてを否定していたのです。それから私は、考え方を変える努力を始めました。すぐに髪は増えないかもしれない。でも、今の自分にできることをしよう。食事を見直し、ウォーキングを始め、そして、この髪でも素敵に見える髪型を美容師の友人に相談しました。トップにふんわりとボリュームの出るカットにしてもらった日、鏡に映る自分が少しだけ好きになれた気がしました。薄毛の悩みが完全になくなったわけではありません。でも、以前のように絶望することはなくなりました。これも私。そう受け入れて、今日を大切に生きよう。そう思えるようになったことが、私にとっての一番の「治った」なのかもしれません。
排水溝の髪の毛に泣いた私が前を向くまで